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公益財団法人 建築技術教育普及センター
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新千年紀、建築専門職能者システムの方向を考える

 (財)建築技術教育普及センター建築技術者研究所 小泉重信

「QUA クウェイ」NO.14(2000年)より

新ミレニアム

至福千年か世紀末か

 西暦二〇〇〇年は、暮れからのY2K問題の不安を抱えて新年を迎えました。
 ミレニアム(the millennium)という語がマスコミに流布していますが、キリスト教に関係のない人には、今まであまり聞きなれない言葉でした。ところで、ミレニアムは、辞書によると(1)千年(間)、(2)(キリスト教の)至福千年期、千年王国、(3)(いつか来るとされる)正義と平和が世を支配する至福の時代、黄金時代、(4)千年祭、などの意味があり,いずれにせよ、大きな期待がかかっていることが分かります。
 次世紀である二一世紀は2001年から始まり、2000年は20世紀の最終年ですから、数字的にはまさに世紀末の年です。しかし世紀末の語感では、この世の終末などがイメージされ、ハルマゲドンとか、なにか衰退の姿が想像されてしまう暗さだけが残ります。そこで前向きの意識高揚をねらって各国ともミレニアムを叫んでいるわけです。
 最近、多くのマスコミの論調には、新千年紀お及び21世紀をにらんで、現状の政治的、社会的、経済的な閉塞状況から、少しでも早く脱出したい期待が込められているのが見られます。これはわが国の再生を他人依存でなく自立的に実現しようとする息吹ともとれます。言い換えれば、どの分野においても、関係する者が、変革を志し,時代を先取りできるようより一段と高いレベルの均衡へと止揚することが望まれているものと理解できましょう。

各国資格制度システム調和の課題

地域性か国際性か

 元来、政府、企業、教育等のシステムについては、それぞれの国毎に、長い歴史的な変遷を経て形成されてきています。それが近年の情報技術革命の浸透、経済のグローバライゼイションの著しい進展等によって、既存の地域的体系での整合性をいつまで保ってゆけるか、それが次世紀に向けての最大の課題となっています。
 それぞれの国で異なるシステム、制度でも、それなりの整合性が保たれている場合、内部的に特別な問題が起きたとか、外部からの要請が強まったという変化がない限り、システムの特質に疑問を抱く必要性は生じません。しかし、情報が容易に交流でき、別の価値観や整合性の取れている別の異なるシステムの存在を知り得て、システムの相互比較が可能になると、はじめて両者の特質の差が浮き彫りになります。その歴史が長ければ長いほど、諸制度がグローバライゼイションで直面する課題の影響が極めて大きいことを思い知らされます。
 社会システムには最適の解がただ一つだけしか存在しないとは考えられません。むしろ、いくつかの均衡解が存在すると考えたほうが適切です。どこの国にも、長い歴史の過程で形成されてきた非合理性を一部に含むシステムを有する組織や制度も多いはずです。すべての面で絶対的優位性が無くとも、競争条件下で総体的に、かつ相対的な優秀性が認められれば、他国のシステムに対しての優位性を保つことができると思われます。すなわち、独自な特異性があっても、それが他者より、長所、魅力と認識されれば、それが波及し、影響し得ると思われます。それとは反対に、どんなに長い歴史的経緯があろうとも、比較時点で絶対的優位性と魅力がなければ、対応できません。
 現実の国際交流の場では、それぞれに自国の優位性のみを主張し、自国制度の一般化に腐心することが多く、一体何が、世界の人々、各国社会の人々にとって有益、最適なのかの比較考量が十分なされないきらいが往々にして見られます。

社会的な資産としての建築と建築職能者の質向上を目指して

 従来、ともすれば建築活動は、経済活動ひいては国内総生産の一翼を担うものとして、量的な拡大成長を図ることが評価されてきましたが、既に、建築もストック化時代に入り、良好な質の建築ストックの維持更新が注目されています。
 これにより、建築士を中心とする建築専門職能者に対し、期待される資質、能力もそれに応じたものが求められます。わが国の建築技術の水準は、超高層、大規模プロジェクト等に見られるように、世界的にもきわめて高品質と認められていますが、他方では、最近、増加しつつある欠陥建築訴訟や不良施工構造物による事故の発生等、無知、低質技術力、工事監理不備、違反行為等による社会的問題も多く発生しています。
 一部にどんなに高い技術的能力があっても、それが社会に一般化していない問題点と、職業人としての意識の低さが一部に存在する問題を解消することが、システムとしての建築分野の質向上に不可欠な社会的要請となっています。

建築専門職能者の実質的な質向上への選択肢

(1) 高等教育内容の質向上-------学力は基礎重視か応用重視か

 大学の高等教育における建築教育の必要年限は、欧米は5~6年であり、わが国の教養課程を含む4年とは明らかにギャップが存在しています。数字に弾力性は無いので、同質性を証明するには大学院等、別の教育または高度な経験の年数を加味する必要があるのかの課題があります。
 しかし、より大きな課題は,むしろ教育内容の質であり,専門性をどの分野でどのようにカバーするかが重要で、現在のカリキュラムで国際評価に耐えられるのかどうか。文部行政の教育方針もあり、大学では科目の自由選択性を重視しています。一方,専門職能者育成の面から期待されるものは特定教科の教育内容であり、これが相互に矛盾しないよう両立する仕組みを考えなければなりません。

(2) 実務経験の質向上-------自己申請か他者評価か

 欧米では資格付与にあたり、学校教育の途中または事後に,直接専門家の指導者の下におけるインターンの経験を積むことを必要とします。わが国では、受験資格要件として実務経験年数の審査をしていますが,その経験の内容は、自己申告によるもので、それほど厳格とは言い難いものです。欧米のように既有資格者の監督下における経験のみに限定しないまでも、実質的な専門職業の実務経験をより重視する方向に向かう必要があると考えられます。しかし、既有資格者の協力が不可欠で,負担になるという課題は残ります。それでも、責任の連帯性を含む自律性や、倫理観の向上には長期的に見て有効な方法と考えられます。

(3) 認定・試験の質向上-------専門性か総合性か

 学校を認定し、一定の学卒免許者に資格を付与する大陸型の制度、学歴の差に応じて段階別の試験を行うイギリス型の制度,共通の試験を実施するわが国やアメリカ(州により若干の差はある)の制度など能力の認定方法はいろいろですが,受験者の量にもより、一概にどれが優れているとは言えません。課題は、どうすれば、客観性、公平性を維持できるのか,また、どうすれば、能力を総合的に評価できるのかです。総合的な評価は,面接等直接対応すれば人物評価しやすいのですが,受験者が多いと実現は不可能です。他方,多肢選択式試験によれば、最も公平かつ客観的な評価はできるのですが,期待される総合化能力の問題作成は非常に困難で、ほとんど不可能に近いかもしれません。精度が高く客観性を重視すればするほど、出題は専門分化的、数量的な問題になりやすい弊害が生じます。建築は、本来,集積、総合化のアート(技術であり芸術である)ですから、細分化,断片化した知識や能力の評価のみでは事足らないはずです。その点,建築設計課題は、総合化能力を測る上で重要な手段であります。アメリカのようにPC化試験方法により、設計課題も分節化の道を辿っている国もあります。専門性,客観性と総合性を両立させた試験や認定の手法の開発は難しいのですが大切な点です。

(4) 能力維持の質向上-------持続性か変革性か

 資格免許には有効期限のあるものと、原則、永代資格となっているものとがあります。概して、専門的に高い能力者に与えられる資格には永代資格が多いようです。よほどの法律違反とか、悪質な倫理違反でもない限り,資格は永久に保障されていますが、名称独占資格と業務独占資格とでは、意義が異なるはずです。名称独占の場合は、その人の取得時点での実力を証明する名誉的な意味が強いものと考えれば済むでしょうが,業務独占の場合は,常に現在時点での業務の執行能力を保有する必要があり、更に他者に対し,業務参入の機会をある意味で制限していることになります。たとえ、当人の実力に変化がないとしても,社会や技術が変化、進歩しているわけですから、相対的に現在の社会的要請条件に対応できず,はずれていくことになります。
 このため、既存資格者は、常時、継続教育、生涯学習が必要となります。一般に、資格取得後の能力維持や発展のためのフォローアップのための仕組みは、わが国ではきわめて不十分と言わざるを得ません。

(5) 専門職能者の倫理-------行動規範か強制管理か、組織論理か社会論理か

 環境問題、大震災,公共事業批判等を契機として,建設分野の技術や技術者に対する不信感が増大したことと、国際調和の要請が強まってきたこと等により、技術者団体においては、明確な倫理規定の制定と,その遵守の必要性の意識が急速に高まってきました。
 倫理規定の制定は、コンサルタント協会やJIAで比較的早く制定してきていましたが,99年には土木学会、日本建築学会をはじめ,各団体で相次いで制定、または,検討の段階に入っています。倫理規定の制定については、何を今更という意見もありますが,欧米型の明文化された規定が必要になったということは、残念ながら、国際的評価のレベルの問題だけではなく、わが国の社会的意識水準がマニュアル的なレベルに低下したものとも考えられます。その先に見られるものは、単なる規定にとどまらず、強制的に管理し、罰則を強化していく必要性が待っているのでしょうか。
 倫理規定の本来の意義は、職能者の行動基準の拠り所をどこに置くかという点にあります。特にわが国のように、企業等組織や集団による活動が主体となっている場合に、職能者の個人的価値判断はなかなか通りにくいところがありますが、組織と独立性を保てる能力を保有することが大切で、その時の価値根拠は、決して単なる個人ではなく社会そのものに置くべきもののはずです。このためには、優れた能力と自律性が不可欠となるのは当然です。
 新千年紀にあたり、建築士をはじめ建築関連各分野の専門職能者に共通に言えることではありますが,決して国際調和の要請からだけではなく、自主的,自律的により高い質を持った新たな均衡へ常に能力と人格を向上してゆく努力がますます期待されるところです。
 (注:本文は筆者の個人的見解であり、当センターの公式見解ではありません)

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